シード期に評価額を決めにくい理由
創業したばかりの会社は、売上や利用者の実績がほとんどありません。この段階で会社の価値を数字で決めるのは、会社にとっても投資家にとっても難しい作業です。
株式を発行して出資を受ける場合、1株あたりの価格を決める必要があります。価格が高すぎると、次の調達で前回を上回る評価をつけにくくなります。低すぎると、創業者が早い段階で多くの持分を手放すことになります。評価額の考え方はバリュエーションと希薄化の基礎で詳しく解説しています。
また、株式で出資を受けると、投資契約の交渉、株主総会の決議、登記などの手続きが必要です。数百万円から数千万円程度の少額の調達でも、同じような手間がかかります。
そこで、「今は資金だけ受け取り、会社の価値は次の本格的な調達で投資家が決める価格をもとに後から決める」という方法が考えられました。これが新株予約権を使った方法です。経済産業省の「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」も、バリュエーションの実施を将来のある時点に先延ばしできる資金調達手法として「コンバーティブル投資手段」を紹介し、同省がその活用ガイドラインを策定していると案内しています。
コンバーティブル投資手段の主な種類
| 種類 | 性格 | 会社から見た注意点 |
|---|---|---|
| 新株予約権型(J-KISS型) | 株式に変わる権利。払い込まれたお金は借入ではない | 転換時の希薄化。期限や会社売却時の扱い |
| 新株予約権付社債型(転換社債型) | 社債(借入の一種)に、株式に変わる権利がついたもの | 転換されなければ返済が必要。利息の定めがあることも |
同じ「後で株式に変わる」仕組みでも、社債型は負債として残るため、資金繰りへの影響が違います。本記事では主に、シード期によく使われる新株予約権型を扱います。
新株予約権とは(会社法上の意味)
会社法は、新株予約権を「株式会社に対して行使することにより当該株式会社の株式の交付を受けることができる権利」と定めています(会社法第2条第21号)。つまり、決められた条件で、将来その会社の株式を受け取れる権利です。
新株予約権を発行するときは、目的となる株式の数またはその算定方法、行使のときに出資する財産の価額またはその算定方法、行使できる期間などを、権利の内容として定めます(同法第236条)。「算定方法」を定めればよいため、次の調達の価格をもとに株数を決める、という設計ができます。
| 比較軸 | 株式の発行 | 新株予約権型(J-KISS型) |
|---|---|---|
| 評価額 | 出資時に決める | 原則として次の本格的な調達時に決まる |
| 投資家が受け取るもの | 株式(議決権あり) | 株式に変わる権利(転換までは議決権なし) |
| 交渉する主な項目 | 株価、株式の種類、契約条項 | 評価額の上限(キャップ)、割引率、転換の期限など |
| 手続き | 募集株式の発行の手続き・登記 | 募集新株予約権の発行の手続き・登記 |
| 向く場面 | 条件が固まった本格的な調達 | スピードを重視する少額のシード調達 |
なお、役員や従業員に報酬として付与するストックオプションも、法律上は新株予約権です。投資家がお金を払って取得するJ-KISS型とは、目的も税制上の扱いも異なります。ストックオプションについては資本政策の基礎で触れています。
J-KISSの仕組み
J-KISSは、新株予約権を使ったシード期向けの投資契約のひな形の通称です。ひな形が公開されているため、会社と投資家が同じ前提から話を始められ、条件交渉や書類づくりの負担を抑えやすいとされます。経済産業省のガイダンスに収録された寄稿でも、細かな条件の決定を次の大きな資金調達まで繰り延べる仕組みとして紹介されています。
基本的な流れ
- 今:投資家がお金を払い、新株予約権を取得する。会社は資金を受け取る。
- 次の本格的な調達:一定額以上の株式による調達が行われると、その価格をもとに、契約で決めた方法で株式に転換される。
- 期限までに調達がない場合:契約で定めた期限や条件に応じて、あらかじめ決めた方法で転換するなどの取り扱いになる。
- 会社の売却などが先に起きた場合:契約で定めた取り扱いに従う。
交渉で決める主な条件
- 評価額の上限(キャップ):転換価格を計算するときの、会社の評価額の上限。
- 割引率(ディスカウント):次の調達の株価から、一定の割合を割り引いた価格で転換できる仕組み。
- 転換のきっかけとなる調達の規模:どれくらいの金額の調達で転換するか。
- 期限:次の調達が起きないまま期限が来た場合の扱い。
一般に、キャップで計算した価格と、割引後の価格のうち、投資家にとって有利な(低い)方が使われる設計が多いです。具体的な条件や細かな定義は、使うひな形の版や契約ごとに違います。必ず契約書の原文で確認してください。
転換の計算例:キャップと割引
考え方を理解するための仮の数字で計算します。実際の契約では、株式数の数え方などの定義がより細かく決められています。
前提
- J-KISS型で1,000万円を調達
- 評価額の上限(キャップ):2億円
- 割引率:20%
- 次の本格的な調達の前の発行済株式:10,000株(すべて創業者)
ケースA:次の調達のプレマネーが5億円
| 項目 | 計算 | 結果 |
|---|---|---|
| 次の調達の株価 | 5億円÷10,000株 | 50,000円 |
| 割引後の価格 | 50,000円×(1−20%) | 40,000円 |
| キャップで計算した価格 | 2億円÷10,000株 | 20,000円 |
| 使われる価格 | 低い方 | 20,000円 |
| 転換で受け取る株式 | 1,000万円÷20,000円 | 500株 |
次の調達で新しい投資家が1億円を1株50,000円で出資すると、2,000株が発行されます。調達後の株式は10,000株+500株+2,000株=12,500株です。持分は、創業者80%、J-KISSの投資家4%、新しい投資家16%になります。J-KISSの投資家の500株は、次の調達の株価で評価すると2,500万円です。早い段階でリスクを取った見返りといえます。
ケースB:次の調達のプレマネーが2億円
次の調達の株価は2億円÷10,000株=20,000円です。割引後は20,000円×0.8=16,000円で、キャップで計算した価格(20,000円)より低くなります。この場合は16,000円が使われ、1,000万円÷16,000円=625株を受け取ります。
このように、次の調達の評価額が高いほどキャップが効き、J-KISSの投資家が受け取る株数は相対的に多くなります。創業者から見ると、キャップの水準が最終的な希薄化を左右します。
複数回発行したときの計算例
シード期には、新株予約権型の調達を2回、3回と重ねることもあります。そのたびに条件が違うと、次の本格的な調達での持分の計算が複雑になります。ここでも仮の数字で見てみます。
前提
- 1回目:1,000万円、キャップ2億円、割引率20%
- 2回目:2,000万円、キャップ4億円、割引率20%
- 次の本格的な調達:プレマネー6億円、発行済株式10,000株(すべて創業者)、新しい投資家が1億5,000万円を出資
| 項目 | 1回目の投資家 | 2回目の投資家 |
|---|---|---|
| 次の調達の株価 | 6億円÷10,000株=60,000円 | 60,000円(同じ) |
| 割引後の価格 | 48,000円 | 48,000円 |
| キャップで計算した価格 | 2億円÷10,000株=20,000円 | 4億円÷10,000株=40,000円 |
| 使われる価格(低い方) | 20,000円 | 40,000円 |
| 受け取る株式 | 1,000万円÷20,000円=500株 | 2,000万円÷40,000円=500株 |
新しい投資家は1億5,000万円÷60,000円=2,500株を受け取ります。調達後の株式は10,000株+500株+500株+2,500株=13,500株です。持分は、創業者が約74.1%、1回目と2回目の投資家がそれぞれ約3.7%、新しい投資家が約18.5%になります。
出資額は2回目の方が2倍なのに、受け取る株数は同じです。早い段階で低いキャップを受け入れた分、1回目の投資家の取り分が大きくなっています。創業者から見ると、合計3,000万円の新株予約権で約7.4%を渡す計算です。発行のたびに、このような表で転換後の姿を確認しておきましょう。
会社にとってのメリットとデメリット
メリット
- 早く資金を受け取れる:評価額の交渉を先送りできるため、話がまとまりやすい傾向があります。
- 手続きの負担を抑えやすい:公開されたひな形を使えば、契約書の作成や交渉の論点を絞れます。
- 評価額の「先食い」を避けやすい:実績が少ない段階で低い価格に固定されることを避けられます。
- 転換までは議決権が増えない:新株予約権のままの間は株主が増えないため、株主総会の運営は変わりません。
デメリット・注意点
- 希薄化が見えにくい:転換するまで持分が確定しないため、何回か重ねると、次の調達で想定以上に持分が薄まることがあります。
- キャップが実質の評価額になる:次の調達がうまくいくほど、キャップの水準が投資家の取り分を決めます。キャップは事実上の評価額と考えておきましょう。
- 次の投資家の目線:転換待ちの権利が多く残っていると、次の調達の投資家が持分の計算や条件を気にすることがあります。
- 期限の扱い:次の調達が予定どおり進まないと、期限の条件が効いてきます。
投資家にとっての見え方
投資家は、株主になるまでの間、会社の重要な決定に議決権で関わることができません。また、次の調達が起きなければ、転換の時期も読めません。キャップや割引率は、こうした不確かさを引き受ける見返りとして求められるものです。会社の都合だけで条件を決めると、投資家が集まりにくくなります。双方にとって納得できる水準を探すことが、結果的に早い調達につながります。投資家への説明の組み立て方は投資家へのピッチ・事業計画の考え方も参考にしてください。
J-KISS型は「交渉をなくす」ものではなく、「交渉を次に回す」ものです。後で困らないよう、受け入れる前に転換後の持分を試算しておきましょう。
エンジェル税制での扱い
個人の投資家が出資する場合、エンジェル税制が使えるかどうかは投資判断に影響します。経済産業省の制度ページでは、令和6年度税制改正で、個人投資家が発行会社の株式を取得した時点(新株予約権の行使日)にエンジェル税制のすべての要件を満たす場合、一定の新株予約権の取得に要した金額も、税制の対象となる株式の取得に要した金額に含めることとされたと案内しています。
- 対象となる新株予約権は、取得時に払込みを行うもの(いわゆる有償新株予約権で、J-KISS等)です。
- 2024年4月1日以降に新株予約権を取得した場合のみ対象です。2024年3月31日以前に取得した場合は対象になりません。
- 経済産業大臣の認定を受けた少額電子募集取扱業者を経由した投資で、その事業者が確認書を発行する場合は、この措置の適用を受けられないとされています。
エンジェル税制の手続きは、スタートアップが都道府県等へ確認申請を行い、交付された確認書を投資家が確定申告で提出する流れです。会社側の要件や手続きの詳細は、必ず経済産業省の最新の制度ページで確認してください。制度の概要はVC・エンジェル・CVCの違いと使い分けでも整理しています。
発行の手続きと準備
新株予約権を発行するときは、会社法の手続きが必要です。新株予約権を引き受ける人を募集する場合、その都度、募集新株予約権の内容や数、払込金額、割当日などの募集事項を定めます(会社法第238条第1項)。公開会社でない会社では、募集事項は原則として株主総会の決議で決めます(同条第2項)。この決議は特別決議です(同法第309条第2項第6号)。
払込金額が引き受ける人に特に有利な金額である場合は、取締役が株主総会でその理由を説明する必要があります(同法第238条第3項)。また、新株予約権を発行したときは、その数や内容などが登記事項になります(同法第911条第3項第12号)。
準備しておきたいこと
- 調達額と資金の使い道、次の本格的な調達までの期間を決める。
- キャップや割引率を変えた場合の、転換後の持分を表で試算する。
- すでに発行した新株予約権やストックオプションを一覧にする。
- 使うひな形の版と、変更した点を投資家と共有する。
- 株主総会の決議、払込み、登記の段取りを専門家と確認する。
次の本格的な調達の流れは資金調達ラウンドの流れで解説しています。
よくある失敗
新株予約権型の調達は手軽に見える分、後で問題になりやすい点があります。代表的なものを挙げます。
1. キャップを深く考えずに決める
「評価額は後で決まるから」と、キャップを低く設定してしまう例です。計算例で見たとおり、次の調達がうまくいくほど、キャップが投資家の取り分を決めます。キャップは今の評価額を決めるのと同じ重みで考えましょう。
2. 発行の記録が散らばる
投資家ごとに条件が少しずつ違い、一覧がないまま次の調達を迎えると、持分の計算に時間がかかります。次の投資家からの確認にも答えにくくなります。発行のたびに、金額・条件・割当日・登記の状況を一つの表にまとめておきましょう。
3. ひな形を変えたことを共有しない
公開ひな形の安心感は、条件が共通していることにあります。一部を変えた場合は、どこをどう変えたかを投資家や次の投資家に分かるようにしておくと、誤解を防げます。
4. 次の調達の時期を楽観しすぎる
新株予約権で受け取った資金は、次の本格的な調達までの「つなぎ」の性格があります。予定より調達が遅れると、資金が足りなくなるおそれがあります。月々の支出と、手元資金で何か月走れるかを常に把握しておきましょう。必要な運転資金の目安は必要運転資金の計算ツールでも試算できます。
5. 個人投資家に税制の説明をしていない
エンジェル税制の対象かどうかは、投資家の手取りに関わります。対象になるかの確認や申請は会社側の手続きも必要なため、早めに確認しておきましょう。
向いているケース・向いていないケース
| 向いているケース | 向いていないケース |
|---|---|
| 創業初期で、評価額の根拠がまだ乏しい | すでに売上の実績があり、評価額を決められる |
| 少額を早く受け取りたい | 大きな金額を、多くの投資家から一度に集める |
| 近い将来に本格的な株式の調達を予定している | 当面は株式で調達する予定がない(転換の時期が見えない) |
| 投資家もひな形の仕組みを理解している | 投資家と条件の理解にずれがある |
本格的な株式の調達をそもそも目指さない会社では、転換のきっかけが来ないため、仕組みとして合わないことがあります。上場や売却を目指さず、堅実な成長を考えるなら、融資や補助金・助成金のほうが合う場合もあります。出資と融資の比較は出資と融資の違いと組み合わせ方をご覧ください。
また、事業会社と提携を兼ねて出資を受ける場合は、出資の条件だけでなく協業の条件もあわせて決めることが多く、新株予約権型の手軽さが生きにくいこともあります。相手の目的に合わせて手段を選びましょう。
J-KISS型でも、株式でも、最終的に何%を渡すことになるかは同じように重要です。迷うときは、スタートアップの資金調達に詳しい弁護士などに相談しましょう。手段全体の比較は比較・診断でも確認できます。
よくある質問
J-KISSと普通の株式発行は何が違いますか?
キャップとは何ですか?
割引率とは何ですか?
転換するまで投資家は株主ですか?
J-KISSでもエンジェル税制は使えますか?
何回も新株予約権で調達しても大丈夫ですか?
手続きは会社だけでできますか?
- e-Gov法令検索「会社法」第2条第21号・第236条・第238条・第309条・第911条 https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086(2026年10月確認)
- 経済産業省「エンジェル税制」 https://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/angeltax/index.html(2026年10月確認)
- 経済産業省「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」(2022年4月) https://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/houkokusyo/financeguidance.pdf(2026年10月確認)
本記事は一般的な情報提供で、特定の投資・出資を勧誘するものではありません。投資の方針・条件は投資家や状況により異なります。投資契約の内容は、弁護士など専門家にご確認ください。